園長の部屋






  

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2024年4月8日(月)
令和6年度入園式
前任の川嶋さんが、黒柳徹子さん司会の「徹子の部屋」という対談番組をモデルに、園長が徒然なるままにコーナーで す 。
幼稚園の行事や子どもの様子なら”今日の幼稚園”をご覧ください。
さて、4月より川嶋さんから園長職を引き継ぎました大ア 治樹と申します。小学校や中学校の入学式で挨拶した経験はありますが、幼稚園児の前での挨拶は初めての経験で、心臓がドキドキしていました。ところが、目の前の園児たちはまさにで自然体でした。不思議そうに見ている子、何か期待してワクワク顔の子、見てもくれない子など、当り前ですが忖度なしです。でも、「私の好物はおせんべいです」発言には共感してもらえたようです。さて、これから205日間に繰り広げられる出来事や子どもの成長が、とても楽しみです。今年も貝塚幼稚園をよろしくお願いします。
2024年5月2日(木)
寒くても元気な、鼻たれ小僧さん

 幼稚園の桜が1週間前から咲いたというのに気温の寒暖差が大きく、5月だというのに寒い日が続いています。4月は全道的に記録的な暖かい日があり、4月の平均気温7.1度より3.2度高かったそうです。
でも、幼稚園では咳、鼻水、発熱などの風邪症状で休んでいる人が先週から毎日7〜5人欠席しています。でも、鼻水を垂らしていても、子どもたちは元気に登園し、園庭で土木工事や砂を使った料理(ままごと)、虫捕り(ほとんどワラジムシですが)が流行っています。
 私が3〜5歳の頃は近所の一つ下の男の子と鼻水を垂らして外で遊んだり、降園したら近所の小学生にくっついて沢や野原で遊んでいました。
毎日、風邪をひいていたので袖はテカテカになってしまいました。
いまの貝塚幼稚園にも寒さに負けない、たくましい子がたくさんいますよ。

2024年5月16日(木)
「いただきます」「ごちそうさま」は食事の挨拶


 私は子どもたちと一緒にお弁当を食べるようにしています。一つには「いただきます」「ごちそうさま」を言えているかを見ています。お腹をすかして、外遊び片付けの先生方やお友達が戻ってきてから食べる貝塚ルールがあります。それは、後片付けをしていて遅くなるなる園児さん(年長とは限りません)や先生に対する思いやりと感謝の気持ちを持って欲しいからです。お腹をすかしているので園児にとっては一刻も早く食べたいので、結構忍耐のしどころなのです。〈みんなで後片付けを手伝えば、早く食べられることに気が付いて欲しいところです。〉

 もう一つは、貝塚幼稚園の昼食では、みんな揃って「いただきます」をしません。昼食時間内に手を洗い、トイレに行ったりと食事のスタートはそれぞれ違います。また、発達の程度によって食べる量や速さも違っています。また、デザートを持ってくる園児もいますので、もちろん「ごちそうさま」も一斉にはおこないません。
 「おはようございます」「さようなら」の挨拶と同じように、食事のときに「いただきます」「めしあがれ」「ごちそうさま」はご家庭でも習慣として親子で一緒に挨拶して欲しいものです。

2024年11月7日(木)
秘密基地出現!なのか?

昨日の自由保育中に遊戯室に出現した、段ボール製の小屋。秘密基地か?片付けの時間になると次々と中から園児が出てくる。4,5人は入っていただろうか?少し自分が子どもの頃の秘密基地を草ぱっらや雑木林で作ったことを思い出した。ところが今日の自由保育中になると「看板作ろう!」と誰かが呼んでいる。『秘密基地に看板?それは秘密じゃないよ』と思ったのだが・・・この小屋の屋根にはいっぱい穴があいている。何か変だと思っていたら、設置された看板を見てわかった。ここはプラネタリウムだったようです。子どもの発想は思いもかけないものを作り出します。屋根にある無数の穴は天球の星々でした。使われ方もプラネタリウムの他かくれんぼに利用されています。私は秘密基地の狭い考えから抜け出せませんでした。

2024年12月3日(火)
54歳の貝塚幼稚園を祝って〜その1

 54年前の昭和46年に貝塚幼稚園は“貝塚幼児園”として開設し、近所の子ども7名と先生2名で開園しました。開園以来、半世紀以上の間にたずさわった保育者、卒園児たちの幼稚園への思いを感じます。
 開園当時は遊具や園児数が足らず「幼児園」という名称でした。当時、周囲の建物は少なく草木も生えない火山灰のグラウンドからは、遠くに雌阿寒岳や雄阿寒岳を望むことが出来ました。草刈りの必要はなく砂の流出を防ぐため、家族総出で植物を園舎の周囲に移植したり、白樺等の苗木を植樹して少しずつ緑を増やしていきました。特に、築山の東側は、保護者の協力で一日かけて苗木の植樹をしました。今やオニクルミ、ミズナラ、山ブドウも自生するする林に成長し、保育に生かされるとは思いもしませんでした。  
                         園だよりより抜粋

2024年12月17日(火)
54歳の貝塚幼稚園を祝って〜その2

 左の写真は昭和47年当時の写真で、写っているのは約半数の子どもたちです。園庭の砂場では、今と変わらず土木作業の現場と化しています。砂や水は子どもにとって遊びの財産です。単独でままごとや積み上げて山にするもよし。砂場に水路を掘り水の流れを作るもよし。笑い話のようですが、夏になると急激に使用する水量が増え一日1トン以上使っていたために水道課から『漏水の疑いがあります』と検査に来たこともありました。この遊ぶ経験や興味が将来の土木やビル、橋づくりにつながるかもしれないと思うのは大人だけで、子どもは、ただ「遊ぶこと」を目的としていてその先は?将来は?なんて考えていません。ひたすら遊び貝塚の場合は、泥だらけになるのは今も同じです。
 下の写真は昭和49年当時の本園のグラウンドで運動会を始める直前を2階(昭和48年から平成5年釧路沖地震まで管理棟がありました)から撮影したものです。今も公園側は火山灰の空き地で車は10台にも及びません。この時代の園児は遠くて徒歩10〜15分程度を家族か一人で登園していました。遠くは、若草団地や武佐4丁目(長生園)付近の5階建の市営住宅群から路線バス(もちろん一人で乗車)で通園している園児くらいです。
 
実は広いクラウンドの一部は釧路町のM’Sマツマミ様の所有で、貝塚幼稚園の子どもたちが走りまわり、昆虫採取や花摘み、雪遊びをするために、ご厚意で使わせていただいています。昔から、貝塚幼稚園は保護者や近所の方々に支えられて今に至っていることを感慨深く思います。『感謝』

2025年1月22日(水)
3期が始まり一週間

 1月15日から3期が始まり早くも一週間が経ちます。
子どもの声に耳を傾けると、冬休み中の出来事が聞こえてきます。
「でっかいホテルに泊まったよ。豪華だったよ」「スケート滑るようになった」
「スケートすべれた。ころぶのうまくなった」「スキー場に行った」「福井の恐竜博物館」などなど・・・子どもは色々な経験をいっぱいしてたようですね。この冬休みに子どもたちが楽しんでいる姿が目に浮かびます。

 私が子どもの頃は、家でお雑煮と普段は口にできない海老や栗きんとんおせち料理、ハタハタの飯鮓が飽きるほど続きました。三が日の父は、酒浸りでとても上機嫌でその勢いで、米町の本家に新年の挨拶をしにでかけました。そして、祖父からお年玉をいただき母にこっそり渡すのが私のお正月の記憶です。神社に初詣で出かけた記憶もありません。今のお正月と比べると質素で単純な料理が3日から7日続いていました。
 時代とともにお正月の料理屋や過ごし方も変化して来るように、子どもの経験の質も時代とともに変化するものですね。

2025年2月17日(月)
保育実習の青陵中学生に感謝

 中学校では「技術・家庭科」という教科があります。昭和63年までなら、男子は「技術科分野」、女子は「家庭科分野」を履修するのが当たり前でしたね。平成元年からは男女共修で同じ内容を学ぶようになったので、お父さん・お母さんは、きっとこの頃に学んでいます。でも、中学校で働いていた経験から言うと、新生児や幼児を連れて、お母んが中学校を訪れることは、ほぼ不可能です。せいぜい育児中の先生に協力してもらうのが関の山でした。また、近隣の保育所・幼稚園は、職業体験で数人受け入れる事は出来ても、15〜20人の中学生を一度に受け入れ、これを6回行うとなると、事故が起きることを危惧して断るのが当然です。
 人(大人でも子どもでも)が、走って転んだり、物に顔をぶつけたり、走って人にぶつかったり、高い所から飛び降りて足を痛めたりすると、「どうすればケガをしないで遊べるか?」を学び、注意して活動するのが生き物としての本能です。貝塚幼稚園でも耐震補強の柱に普段登らない子が、登る時に必ず補助しています。飛び降りもいきなり高い所からは飛ばせません。先の例のようなケガは、貝塚幼稚園では毎日少なからず起き、保護者の方に伝えています。幸い大ケガが無く、多少のケガにはご理解して下さる保護者のおかげで、園児のケガの経験値が高まるので、予防できる子が貝塚幼稚園には多くいます。なので安心して、青陵中学校の学生を受け入れています。
 さて、青陵中学校の技術の先生が、積極的にプランを立て絵本を作って幼稚園に保育実習に来ていますが、コロナの間は遠慮していただきました。今年から再開できたことで、園児には普段と違う中学生と触れ合い、全力で遊んでくれて、頼りになる保育者の登場に期待いっぱいです。貝塚幼稚園の教職員では、人的にも体力的にも難しいことですが、中学生が大人数で協力してくれるので、子どもは大喜びです。おんぶにだっこは元より、鬼ごっこは全力で追いかけてくれる。粘土や紙切りでも一緒になって遊んでくれる。中学生には事前に「嫌なことをされたら『そういうことをするなら遊べない!』『そんなことをする人は嫌いです』とはっきり言ってください」と伝えています。でも、泣いている子がいると寄り添って理由を尋ねてくれます。少し乱暴にボールが胸や肩に当てられても、文句言わずに標的になってくれます。寒いのにソリに相乗りしてくれます。
 これだけ豊かに子どもと接してくれている中学生は、『きっとよいお父さんやお母さんになってくれる!』と、心の中で叫んでいました。

2025年3月21日(金)
幼稚園の卒園式でまさかの・・・『子どもってすごいんです』

                     《上の写真は年少さんの時の写真です》

 令和7年3月20日、春分の日です。第54回卒園式がありました。今年は12名の園児たちが園舎を巣立ってゆきました。
 貝塚の卒園式は証書授与より子どもたちの発表が面白い。「切り紙作品」「絵」「粘土作品」は力作ぞろい。でも「ボールを投げる。キャッチする」「両手側転と片手側転」「けん玉」「お手玉」「風船突き10回」「やまびこさんの独唱?」などとにかく、子どもは必死になって挑戦する。見ていてヒヤヒヤするけれど失敗しても再挑戦OK。面白くて楽しい。よっぽど、園長の「お祝いの言葉」より見ていて楽しい。
 それでも、証書授与では、みんなしんみりとして涙を流す子もちらほらいる。いいや、もはや、涙なんて半端なものではない。大泣きである。でも、自分の番になると「シュッ」として登壇して来るからふしぎだ。今はシュとしなきゃいけない空気を察知するんだろうか?
 もっとすんごいのは、自分のお子さんが登壇する姿に感激のあまり涙する保護者???違う違うまったく違う。在園児の保護者さんたちが、あっちでもこっちでも泣いているではないか。「思い出のアルバム」を卒園児・在園児が保護者の方を見て歌い出すころには子どもは声を出して号泣、保護者も涙腺崩壊である。

 羨ましい。自分の卒園式で泣けるのがうらやましい。自分の子どもでなくても卒園する子の姿を見て涙できるのがうらやましい。そうだ、この子たちは親や保育者だけからでなく、他の親とも一緒に遊んでもらったり、怒られたりしていたんだった。
 思い返すと私が幼稚園児の時、楽しい?より怒られてばかりの思い出がいっぱいだ。まして、卒園式に出たのかさえ覚えていない。何とも嘆かわしい。
 目も前の子はどれだけ感情豊かに育ったんだろう。どれだけ楽しい思いをしたんだろう。君たちに言いたい。
「たくさんのお母さんの方のおかげなんだよ」と。いわば家族ような保護者たちとその子どもたちで構成された「貝塚一家」でしたね。
 卒園する12人に「よく貝塚に通い続けた。小学校でもがんばってこ〜い」とエールを贈る。でも『たまには、幼稚園に遊びに来て元気な姿を見せて欲しい』と心で思う。

2025年4月23日(水)
7年度の貝塚の保育について
 保育参加を見ているといつも「お父さんも、お母さんも保育のプロなんだな」と、感心させられます。j家庭と違う集団の中では、親子の様子は家にいる時と若干違うはず。ついつい子どものテンションが、上がってしまうようですが、上手に子どもを納得させてその気にさせてしまう場面をたびたび目にします。私のような保育の新参者は、お母さん、お父さんの姿から学ぶことがいっぱいであって、とてもありがたい。
 さて、平成7年度も始まりひと月が経ちましたが、貝塚幼稚園の経営の重点を簡単にお話します。
文部科学省が毎年11月に公表している「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」の結果ををご存じですか。いじめや校内暴力、不登校高等学校の中退者など過去3年の数値と増減を比較しながら概要を公表したものです。北海道も分析して道教委にHPにアップされていますので、興味のある方は下記アドレスまで https://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/ssa/
 それによると、北海道の小学校1年生の不登校児童数は、平成25年度には43名、29年まで40〜60名を推移していました。ところが、平成30年度から増え始め1.8倍の78名。10年後の令和5年度には276名と6.4倍に増えました。小学生全体からすると少ないですが急増ぶりに危機感を覚えます。学校の活動にやる気が出ないと感じていると答える小学生が3割弱いるそうです。

貝塚幼稚園の課題:子どもが試行錯誤する中で、新しい発見ができる子の育成  としています
 保育者(親も)は経験の豊富さから、課題に対するより良い解決策や選択を知ってい分、命に係わる選択ならいざ知らず、ついつい子どもに口を出したくなります。でも、それは大人が示した解決策に他なりません。
 選択肢はいっぱいあるに「これしかないよ」と鉄道レールを敷いてしまうようなものです。貝塚幼稚園では、失敗から新しい事を学んだり、どのような選択肢があるか考え、自己選択した結果に対し達成感を持てるような保育を目指しています。『失敗することが分かっていて助けないの?なんて冷たい!』と怒る方もいるかもしれませんが、それこそ的外れです。だって、子どもは「どうして?」「どうしよう?」「なぜ?」など「?」を考えるのが大好きだからです。保育者はレールの代わりに、色々な方向に路盤を準備してあげるほうが良いと思いませんか。
 私は、子どもが自分で考えて行動した成功体験の礎があれば、多少の失敗は次の努力の糧になると考えています。機関車トーマス風に言えば、小さい頃から「こうしなさい」「○○はダメ」と決められた安全なレールしか走っていいないと、急カーブや急な上り坂、下り坂には対応できません。どうする?「遠回りしてよける」「トンネルや橋を作る」「エドワードを呼んで助けてもらう」「バスに乗り換えよう」など次に何をしたらいいかと〈考える・行動する〉習慣が実は遊びの中で育つことを忘れていないでしょうか。本年度の重点は以下の4点です。詳しくはメニュから『教育目標』をご覧ください。

《重点1》保育の中に自然を取り込み、四季を意識した活動

《重点2》子どもが考え試す事ができる環境つくり

《重点3》幼稚園の暮らしを通して子どもの姿を発見

《重点4》小学校への円滑な接続を見据えた小学校との連携

2025年5月1日(木)
砂場完成はいつ?『ここから先は子どもに任せます』

 4月24日に駐車場と連絡通路の砂利整地作業のついでに前庭の砂搬入工事を行いました。作業に従事していただいた東工業さんどうもありがとうございます。菅さんが貝塚に来てから20年ぶりくらいかも?と言っていました。もう20数年入れてないの?砂不足は著しく、子どもたちはの粘土層まで掘り進めています。何のために掘るのか分かりませんが、私が埋め戻すと猛抗議してきます。
 20年振りに砂場作るにあたって、考えたのは埃の少ない「洗い砂」を使用すること。山の様に積むことでした。ところが作業上、富士山のような山は今回の駐車場工事の重機では作れず、長く高く山脈にした方が面白いと思いました。砂場はどうして枠がいるのか?どうして平らなのか?私にはそれが理解できず、子どもがどんな遊び方をするかに興味が向いてしまいました。作業する方も「他の園で山とか20mも長くしてほしいと頼まれたこことは無い。本当にいいのか」と念を押されてしまいました。平らにすることの理由がわからない旨を話すと、オペレーターさんは、面白がって「山脈なら高く砂を盛るところを幾つか作って凸凹にするかい」と逆に提案されるほどでしたが、時間が無いのでそこは遠慮して立派な長い砂の山脈を作ってもらいました。
 これから、子どもたちがこの山脈をどのように料理してい完成に向かって行くのでしょうね。本当は枠で囲って 「砂で遊んでいいのはここまでですよ」と決めてしまう方が管理しやすいのですが、そしたらままごとで作ったカップケーキや団子を持ち出せなくなります。はやりのUberなんちゃらの時代にそれは無いでしょう。お持ち帰りも出来ないの?と思いませんか。砂場に制限を設ければ子どもの発想が狭まってしまう。いっそ、人と違う砂場を作ったらどんな遊びの発明をしてくれるかな。とても楽しみです。
 話は逸れますが、文科省から発行している「学校環境衛生管理マニュアル」には、砂場はシートをかけ動物の侵入を予防することや動物のフンを発見した時は周囲の砂も適切に処理することが求められています。そんなことしていたら大きな砂場はできません。できないから、屋内砂場なんて変てこなものができてしまう。それより「汚れたら必ず水道で洗う」「変なにおいの砂のかたまり(だいたいはネコさんの糞です)を見つけたらすぐに知らせる」「教室に入ったら石鹸で手を洗う」を守っていればだいたい感染症は防げます。貝塚幼稚園ではグラウンドや道路・公園でキツネの糞を見つけた時は、直ちに回収しています。ネコが排泄する場所は、おおよそ決まっていること、砂をかける模様で発見しやすいので周囲の砂と一緒に回収し土に埋めています。

2025年6月2日(月)
初めては誰だってこわいよ〜

 新しく堆肥の入った畑に今年も種イモを植えることになった。種イモを2分割し切り口に木灰を塗る。そして、芽を上にして種イモを畝に置くところまでは順調だった。いよいよ上から土をかける段になって、「手で芋が見えないように土をかけて」と言ったら、「こわい。土こわいよ〜」の声が聞こえてきた。
 それを聞いた2人の子も「こわい」と言っていたが、「砂と同じだよ。触っても大丈夫」と伝えたら素手で土をかけていた。でも、始めに「こわい」と言った子は、結局自分で土をかけられなかった。きっと生の黒土を素手で触るのが初めてだったに違いない。2週間後、今度はニンジンの種を植えた。その子は、けろっとして黒土をけられるようになっていた。そうだ、何事も初めては憶病になるものだ。少しずつ慣れればいいんだ。無理にやらなくてもいい。大人は理屈で理解させようとするが、子どもは感性で行動を決定している気がする。砂場では砂だけでなく下の土まで爪を黒くしながら素手で掘っている子もいるくらいだ。「これくらいは平気だ!」という感覚が育てば問題ないのだ。でも、私の感性も子どもの成長に追いつけないこともがある。土と一緒に数えきれないワラジムシを入れたビニル袋を私に見せて自慢するのは、お願いだからやめて欲しいと願うばかりだ。
 また、今年は、年長さんの水遊び?もはや泥あそびがとっても激しい。去年まではしなかった遊びに夢中だ。年長さ〜ん!残り10か月、幼稚園でしかできない遊びを満喫してね。

2025年6月9日(月)
貝塚流の水あそび
 貝塚幼稚園の伝統的な水あそびは、枠にシートを敷いた「水浴び」でも本格的「水泳」ではありません。水を使うという点では共通しています。夏の晴れの日には、毎日1〜3tの水道水を使用して、砂場という場所で遊ぶのが貝塚流の水遊びです。
 他園から転入した園児は「貝塚の水あそびは、もう激しすぎて、『何やってるんだ』と初めは驚いた」と言ってます。砂を掘り水を流して水路にする。見つけた板で水路に橋を架ける。橋からわざと落ちて泥まみれになる。こうしろああしろと言わずとも子どもは遊びの発明家だと思い知らされます。もちろん泥だらけになるのが嫌な子もいます。水の流れによって適度に選別された幾万とある砂の中から、小さな石英や赤いチャート、石炭の破片、貝を探し発見に熱中する子もいます。泥まみれになる激しい水あそびでなくても、水の流れを利用して、毎日少しずつキレイな石や貝を集めに熱中できる砂場は宝石箱に見えるのかもしれませんね。
 泥んこになれば、保育者も着替えや靴洗いが結構な作業になります。常連さんは手際よく自分で着替えが出来るようになります。宝探しの子は、保育者からビニル袋をもらってせっせと持ち帰り。どちらも洗濯やお掃除で家庭の洗濯機や掃除機はフル稼働。これらを面倒事と見るか子の成長の証しと見るかの違いでしょうね。
2025年6月24日(火)
生命の根源は『食』にある

 ちょっと大げささなタイトルですが、現代は食のバラエティーが豊富な時代です。私が小中学生のころ(貝塚幼稚園が設立されてから10年くらい)は、芋と言えば「じゃがいも」でおやつは、蒸かし芋に塩を振りかけたり、たまにバターを塗ることは、とてもハイカラなごちそうでした。食卓には、じゃが芋と玉ねぎの味噌汁、肉じゃがやたまにジャガイモコロッケ、カレーやシチュウの具など芋を食材にした料理が食卓にあがる程度です。
 でも、今はフライドポテトやアンパンマン顔のポテト、ポテトッチプス、ジャーマンポテト、ポテトグラタン、マッシュポテト、ポテトサラダ、
ビシソワーズ等のレシピのレパートリーが広くなりました。
 子どものお弁当には「食が進む、好きなおかずを入れて下さい」とお願いしています。調理の仕方や味付けの仕方で子どもの好みは変わってきますよ。今の子どもに、私が小さかった時のジャガイモ料理では受け入れてもらえないかもしれませんし、「食べろ〜」というつもりもありません。でも、好きな物はどんどん食べて欲しい。ひょっとしたら、私が子どもの頃の簡素な味付けを『お試しで味見してみようかな』と思ってくれるだけでいいのです。お試しで好きになってくれたり、味付けなしのシンプルな食材本来の味でも気に入るかもしれない。貝塚幼稚園では熟しすぎたトマトや大きくなりすぎたキュウリでも、ハウスや畑から自分でとらせてお弁当の時に提供しています。食べることは、味覚を育て命を繋ぐことでもあるので、子どもには採れたてを、どんどん食べて欲しいと思っています。